誰もが避けたい「失敗体験」。でも、その先に未来があります。^_^

最終更新: 4月20日

ヒーラーの山田純平です。 仕事をしていると失敗はつきものです。 システムエンジニアは設計やプログラムなどの失敗(不具合)が分かりやすく表面化します。^_^; そして、納品後に失敗(不具合)がでると、トラブルになります。 言い訳ではありませんが、人がつくるものなので、完璧はありません。(笑) 実際は全部、人が作っているので、ミスはありますよ、、 ただ、お客さんからしたら、「なんでパソコンのソフトがうまく動作しないんだ!」ってなもんです。 出来て当たり前。できなければクレーム。 ですので、完璧にミスなくできても、褒められることはまずありません。 だって、「完璧に出来て当然」と思われていますからね。 そういう意味では、とてもシビアな業界です。 だから、特にうつになりやすい。メンタルを壊しやすい業界と言われています。 個人にかかる責任の範疇も大きいのもその原因でしょう。 トラブル対応は、設計者と開発者くらいしか対応できなのでは?と感じます。 それくらい複雑で細やかなものであり、属人化しやすいものです。 ですから、自然と失敗は避けたいものになってしまいます。 誰でも失敗は避けたいと思いますが、ソフトウェア開発に関連する人は特にそうではないでしょうか。 不具合を出したら、お客さんにも、上司やプロジェクトリーダーにも怒られますからね。^_^; 「昔は解決するまで徹夜で対応しろ!」なんて当たり前でした。(笑) 笑えないブラック状態が普通だったんですよね。 そう考えると今は36協定など労働者保護の法律が整ってきて、随分ましになりました。 そんなわけで不具合、トラブルがあっても、個人を責めないような風潮にはなってきていますが、それでも、本人からしたら、「ヤバい!やってしまった、、」と感じてしまうのも事実です。 だから、日々の作業もかなり神経を使い、心身ともに疲弊しやすいのだと思います。 1つの不具合で、銀行のATMが止まることもあり得る業界ですので。 あくまで会社が請け負った仕事なので、個人に責任はないのですが、「そう言っても、自分のせいで、、」と考えてしまいます。 でも、その失敗があって、今後のより良い対策に繋がるのも事実です。 ですので、個人で責任を抱え込まないことが大事ですね。 ココロのもやもやは残るかもしれませんが、切り分けて考えないとココロが保ちません。 プログラムの不具合であれば、プログラマーのミスかもしれませんし、設計者のミスかもしれません。 レビューで発見できなかったのであれば、関係者にも一部の責任があると言えますし、そもそも、会社として品質強化の体制が適切だったのか?という観点もあると思います。 不具合を出した本人としては、開き直りの論法のように見えてしまうかもしれませんが、事実でもあります。 そもそもの要望と違っている現象を顧客が不具合と言ってくる場合もあります。 「普通、分かるだろ!」みたいなクレームはよく聞きましたね。^_^; みんな自分の責任を認めたくないので、なんとなくプログラマーや設計者の責任のような雰囲気になってしまうのかもしれません。 では、なぜ事実そのままに受け止められないのでしょうか? これは失敗したら自分の評価が下がり、なんとなく「自分には価値がない」ように感じるからだと思います。 でも、実際は自分そのものの価値は下がりません。 「他者が評価する自分の行動価値」に影響するだけでしょう。 あくまで、他人目線で、他人の価値観の中での話です。 そして、「自分そのものではなく、自分の言動や能力に対しての評価をされている」という認識が重要だと考えます。 不具合を1つだしたら、体の一部がなくなっていくなら、自分の存在に影響すると思いますが、そんな事はありません。(笑) 「俺の親指がーー!」ということにはならない訳です。 自分の行動や発言が、求められる基準に対して適切でなかっただけでしょう。 このように、自分の言動と自分の存在価値を切り分けることは、 自分らしく人生を楽しむために、とても大事な考え方だと思います。 もしかしたら、死ぬくらいの感じがするかもしれませんが、死にませんので大丈夫です。^_^ 注意されたら、「自分の行動、発言に対してだな。」と意識的に切り分ける癖付けが、ストレスの少ない人生を創っていくと思います。 そして、ストレスがなくなってくると、自然とやりたい事や楽しいことに意識が向いていくんですねー♪ ココロの余裕が生まれてくるので、自分の幸せや喜びのために人生の時間や労力を使う方向に考えることができるのでしょう。 できるだけ、「子供スイッチ」をオンにしたまま、大人を楽しみたいですね♪ ヒーラー 山田純平

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