山田純平が天職を見つけるまで。(その1)

一悟術ヒーラーの山田純平です。 私が30歳の頃、大阪でシステムエンジニアをしていました。 当時はブラック企業という言葉もなく、ブラックが普通でした。(笑) 今の20代の人にはピンとこないかもしれないですね。 例えば、作業が遅れていたら、「明日の朝まででいいよ。」と半分冗談、半分本気で言われていました。 仕事が多く、忙しかったのもありますが、「社員は会社のために尽くすもの。」という昭和的な考え方も濃かったように思います。 そして、誰もそれに違和感を持っていなかったように感じます。

「仕事とは辛いもの。頑張るもの。」 というような価値観が多くの人に植え付けられているのでしょう。 「仕事は楽しく自由なもの。好きでやっているから自然と努力してしまうもの。」 という価値観に多くの人が変わっていけるといいですね。 ただ、頑張る仕事は辛いけど、やった感、達成感があります。 今思えば、「自分は生きている。生きる価値がある。」と錯覚しやすいのかもしれません。 良いか悪いかは別として、面白い経験ができた時代でした。 このような感じで、新入社員からの20代は仕事一辺倒の生き方でしたが、30歳になり仕事が少し落ち着いてきました。 定時で帰れる日もあるほどです。当時の私としては衝撃の出来事でした。 「定時で変える奴はやる気がない。」と部長が言っていたくらいなので、会社としても残業当たり前の発想です。 しかも、サービス残業バンザイの雰囲気でした。 ですので、罪悪感を感じながらも「お先です。」と小声で言いながら帰ることも増えてきました。 今までは自分の時間の大半を仕事が締めていたので、定時で帰っても正直やることがなく、暇でした。 そして、段々と今の仕事というものに疑問を持ち始めました。 「これからの自分の人生は、この仕事でいいのだろうか?」 「自分は何がしたいのだろうか?」 そんな事を頻繁に思うようになりました。 答えは出てきませんでしたが、 「今の仕事を続ける人生はありえない。」と心の底から思いました。 まだ30歳でしたが、「このまま30年以上も今の仕事の延長のような作業をして生きるなんて、なんてつまらない人生だろう。」と思った訳です。 それに気づくと、毎日の仕事が本当に面白くないことが明確になりました。 「毎日、面白くない仕事を遅くまでこなしている生き方なので、そりゃ疲れるのも当然だ。」と納得しました。 子供の頃でもやりたくない勉強や工作などを無理にさせられて、しんどくなる事はありました。 こうやって人間は疲れていき、それに慣れてしまうのかもしれません。 それを小学校から学ばされていると考えると、今の若い人たちの未来にぞっとします。 ですので、やりたい事に意識を向ける教育に変わるといいなと思っています。 話はそれましたが、毎日の仕事に張りが無くなり、つまらなさだけが自分の心を支配していました。 しばらくそれが続いて、「このままでは辛らすぎる。」と毎日感じるようになり、自分の生きがいや天職を探すことを始めたのです。 会社の仕事は必要な分だけこなし、早く帰って、自分のやりたい仕事は何かを模索し始めました。 と言っても、何も分からない「天職」というもの探す旅。 そんなに、うまくいくはずがありませんでした。 でも、システムエンジニアを続けるつまらなさや不一致さが嫌だったので、がむしゃらに走ることになります。 続く。。。 一悟術ヒーラー 山田純平


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